深夜の呟き

主に日々に感じたことを日記のように書く場所です。

2023/ 12月10日 (日)

少し前のコンテンツは商業目的ではないものがほとんどだった、

お金やそういうものに縋る想いで作られて物はほとんどなかったと思える。

 

だからこそ良い物が生まれていた、ただ今の時代では

過激なものや少しでも問題を起こると瞬く間に世の中が敵視されることがある、

俗に言う「炎上」というものである、拡散ほど怖いものはなく

人間の言葉という存在は物理的な武器よりも鋭いものでもある。

 

最近の時代の流れを見ると少なからず

自分の中に「昔の方が良かった」というものがよぎってしまう。

 

音楽も作品も昔から注目していたからこそ感じてしまうことなのかもしれないが

ここ10年前...下手したらもっと昔から良い物はあったのに埋もれてしまったのかも

しれないが。といっても過去には戻ることは物理的にできない。

ただ今の物も決して悪いものとも言い切れない、技術や製品は良くなっているし

クオリティもけた違いに上がっているのは確かなことだと思う。

 

ただ...それを重視した結果もしかすると

それが一番だと受け継がれたのかもしれない、誰よりも速くだとか

誰よりも上手くだとか、誰よりも頭が良い人がいいとか実際に見ると

そこばかり注目してみてる人が増えてきた印象だ。

 

それに満たなければ逆に激しく良いと思ってもらえないとか

社会から見たり比べる対象になってしまう。でもそれがそもそも悪いことじゃない。

 

 

「承認欲求」っという言葉がどうやらあるらしい、

簡単に言えば注目を浴びたいとか誰かに聞いてもらいたいものらしい。

 

自分も過去を振り返ると今の今までそれを考えていた節がある。

承認欲求とは違うが「誰かと同じじゃなきゃ置いて行かれてしまう」そんな

不安感があるような気がしていた。自分の身内や友人ほど

どんどん先に行ってしまうだから自分も何かやらなきゃいけないという

レッテルを勝手に自己判断してしまう。ただそれでも誰が決めたことじゃない

 

勝手に自己意欲を抱いていただけなのかもしれないが、この言葉でもあるように

誰もが注目を浴びて何かに対して1位になることが全てはないはずだ。

 

結果はそれがきっと反映されているわけじゃないと思いたい。

 

ただ今の自分が見ていると我先にと何としてでも「お金」とか「人気」に

承認欲求の塊で人間社会で進んで運んでいるように昔より感じるのだ。

現にAIを利用する一部の層ではデータを物として扱っていたり

周りから認められたいからSNSで自分を示しているのかもしれない。

 

...とまぁ今日の自分が何か残すために言いたいことは

良い作品というのはきっと金銭的に生み出すことじゃないということ

 

 

今日はここまで