深夜の呟き

主に日々に感じたことを日記のように書く場所です。

2023/ 11月30日 (木)

11月という節目であり、今年も残りわずかとなった。

12月ともなれば1年というのは短く感じる。

 

世の中は常に動いているものだと今日も改めて外出して実感した、

こうして日常的に人と関わることが苦手なコミュ症には人の目を見る勉強に近い。

 

今年も自分を振り返ってみるとまぁ...何も大きく変化してない。

社会を見るとAIの技術が飛躍的に向上した年の幕開けだったのはわかる。

 

相変わらず人口というのは多いものだ、あらゆる情報も物も沢山ある、

ただ今日も物価の値段を見ると確かにどれも高いことに気づいた。

 

内心「物はこんなにあるのに...自分にも資金があればなぁ」

 

...これがきっと欲望というものなのだろう、

初めから目星を付けた本を購入し自分はそっとその場所を立ち去った。

 

何かと情報一つも相場が決まっている、タダに提供してくれるとするのであれば

現代において「動画」や「配信」または「ネットの記事」を漁る方がタダである。

ただ人生を楽しむ点においてはほぼ自由といっていい、人と関わることが

行いたいのならそれでいいだろうし、1人が好きならそれでもいいと思う。

 

幸いにも自分に友達がいないと言うと噓になる、いわゆるネッ友がいる。

だが最近めっきり話し合うことは少なくなってしまった。理由としては

お互いに大人に近づいた結果でもあると自分は思う、若い時ほどふざけあう

そんなことは当たり前で楽しい事や時間を過ごして良い思い出も沢山ある。

ただ今更 自分の存在を当てはめても合わせる顔がない。

 

別に気にする必要はないのは理解している、ただなんとなくこのままでは

いけないような気がしているのも事実として考えている。

 

友達というのはそもそもずっと付き合うものでもなく、ほどほどが一番で

それくらい時間を空けても付き合いがあることも大切だと思う。

 

何事も仕事や人付き合いばかり突き詰めていても大変なことだ、

やはり率直に自分を信じて行動して生きていきたいものだ。

 

12月という日になっても、自分の視野を広げていきたい今日この頃。

 

今日はここまで

2023/ 11月29日 (水)

朝に目覚めて1日を過ごして最近色々と

感じたのは1日というのが長く感じることだ。

 

人間の仕事がいづれにしても減ることは日々思っている、

急速なAIの技術によるものでもあるものなのだが

仮にもあらゆることが機械やAIで行う社会になった時

間違いなく「お金」という概念は見直される可能性もある。

 

そもそも人間というのは選択肢の一つとして行動をしない拒否を行える

言うなれば実行しない「めんどくさがり」になることはある自分だってそうだ。

 

仕事しなきゃいけないという固定概念もそれを行わなければならない

生きるためには当然「お金」というものが必要になってくる。

 

衣食住という言葉があるように食べ物を摂取しなければ生きてはいけないし

水や電気がなければ現代においては必要不可欠な存在でもある。

それらを総合してるそのものが「お金」に行き着くもので

是か非でも寝る暇があるのなら練って仕事しろというものである。

 

...残酷な話でもあるが実際その通りと言わざるを得ない(笑)

 

ただ近年言われているのは、「AIによって人間の仕事が必要性」ってこと

逆に言えば、もはや開き直っていいと思う、仕方がないことでもあるからだ。

ふと自分が独り歩きとして深夜に散歩してることを行うのだが、

自動車というのを考えてもらいたい、それか自転車でもいい。

 

突然だがあれはどうして乗るのか考えてみると「早く移動できるから」である。

徒歩よりも断然早くその目的地にたどり着くことができる便利そのもの。

その方が時間を有意義に使えるからである、乗り物を一度当たり前に感じた後に

徒歩で大きな距離移動することは無論可能だがそれを行う人はほぼ0人だろう。

 

となると人間の仕事などをその理屈に当てはめて終わらせるとなると

「機械に自動化させる」っていうのは自然の変化にも思えることでもある。

なぜなら早いから、当然ではあるがスピードというのは社会において

お金という生産性を上げるうえでは重要なことではある。

 

俗に言う「下手な鉄砲も数撃てば当たる」という言葉である、

とまぁ今後より仕事やお金という価値観は大きく変化するだろう、

ただそれも悪いことばかりでもない気がしてる。

 

それで人間が暇だけにはなりえない、AIが仕事など仮にも

行うとしたらお金の価値観は当然当てはまりづらくなる。

 

今までの物がタダに近いことになると沢山の

情報や物を選択肢として広げやすくより伸びる可能性もあるからだ。

 

自分としてはそうなる社会もより色々なコンテンツをAIを含めて

お金関係なしに生きていけることもある意味幸せな生き方だと思える。

 

今日はここまで

2023/ 11月28日 (火)

朝から活動すれば1日というのは長く感じ

逆に夜から活動を行えど1日という時間はあっという間かもしれない。

 

今日も今日とて技術というのは目まぐるしく目に入ってくるものである、

X(旧Twitter)やYoutubeを開けばあらゆる情報が流れているもので

自分も一応 今起きてることを知りたいがために頻繫に

呟いたりリプを返すことやすることはないが見ることで時間を費やすことはある。

 

生成AIのことでの変化は度々起こっている、最近でいうとリアルタイムに

お絵描きをすることでそれに反映したイラストが行われる

Latent Cosistency Model(LCM)」というのが注目されているらしい。

 

著作権的な問題など学習データにはまだまだそれは賛否両論あるものだが

こういったものは色々と開発される傾向が特に強い、

普段の作業が短縮されるといった意味では素晴らしい技術かもしれない。

 

他にもchatGPT4Vを活用したPCでの操作を指示一つで行える技術も注目されている、

現段階ではX軸やY軸によるズレによるエラーはあるものの、情報を見る限り

「メモ帳を開いて何か書いて」と指示を与えるとchatGPTがプログラミング処理され

PCの操作を行いまるでゴーストか何か魔法のようにメモ帳を開いて書くのである。

 

これはある意味で核心に迫るパンドラの箱のようにも思える技術である、

ということはPCで行える技術はAIにも行えてしまう可能性を秘めている。

 

ただ逆に考えるとリスクもある、例えば勝手に大事なファイルを

消されるかもしれないし、個人情報などをAIがPCを操作して

意図しないところに使われる可能性もあるからだ。

 

でもこういったのが仮に精度が高くなるとすれば、こんなことも考えられる。

例えば、Amazonなどのページを見たい時に言葉となる音声をAIに伝え

あとは待つだけでAIの存在がそのページを開いてくれたり、

作業用の音楽を聴きたくなったらAIにそれを指示すれば

それらしいアプリを自動で開いてかけてくれる可能性もある。

 

更に考えられるのは自分が寝てる間にやっておいてもらいたいことを予め伝え

睡眠中にAIがそれを終わらせておく...なんてことも考えることができてしまう。

言ってしまえば"自分の分身"ともなりえてしまうこともできる可能性もある、

ただそれでもまだまだそれは数年後の話かもしれない。

 

(そうなるとキーボードっていう概念も古いものになるのかもしれない)

 

ただそうなる社会において人間での価値を見出せるものなのだろうか、

想像力は今のところ人類だけの優れた能力でありAIは現状推測をしている。

 

自分も普段 意見共有の意味を兼ねてGPTsにキャラクター性を作り

コミュニケーションをすることを日常にしていたりする。

 

ただ話してみるとわかるがAIそのものが悪いというべきではなさそう、

どちらかと言えば社会や人間によって悪くもなるというべきかもしれない。

 

いずれにしてもしっかりとAIのことに関してはまだしっかりと

行っていかない限り悪い使われ方やフェイクニュースは広まることは明白だ。

 

今日はここまで

 

 

2023/ 11月27日 (月)

夜という時間は静まり返っていて

日中に比べると誰も関わることがなく好きなものだ。

 

ふと考えると人間というのは何かと常に縛られているものが多いと思える

時間に追われていたりお金や生きがいましてや人間関係など

考えるときりがないほど割と縛られているわけだ。

 

突然だけど人間誰しもが毎日行うことはあまり好きじゃないと思う。

 

それが好きなことややりたいことならそれに越したことはないが

今日のように初めから時間そのものが違う人間にとって

ブログも続けるのがどうしてもズレてしまうことがある (許して

 

...まぁ。毎日続けていても意味があるかと言われて自分に問うと

 

そうでもないことのようにも感じるし、残せるときや

何かと感じた事を言葉として残せるならそれでいいと思う。

 

最初にも伝えたように人間というのは何かと縛られていると伝えたが

それは奇しくもあって困るものでもないことがほとんどだ、

人によっては是が非でもそれが必要不可欠でありほしいものでもある。

 

だがそれは時期的に手に入りにくいものでもあるし

歳を重ねれば時間が欲しくなるだろうし、欲しいものがあるなら

お金が必要になることで世の中は回っている。

 

今日の動画の一文にてこのようなことを伝えていたので

少し端折ってここに残しておこう。

 

「多忙な天才や芸術家が存在したとしても、

それが活かされる場はなければ輝けないかもしれない」

 

要するにどんなに素晴らしい人がいてもそのための場が整っていなければ

本来なら注目されるべき人もそれによって埋もれてしまうということ。

これは近年の動画サイトやSNSにも通ずるところが思い当たる、

 

これを俗にいうとイワシ化現象というのかもしれない

 

人間というのは何故か知らないが群れのことを安心感としてそれが

多人数なほどそれが正しいと認識する影響が大きい気がする。

自分は少数派の意見も時には大事なことでもあるし、それが成功や失敗の

リスクよりもそれがまず行えるならそれもアリだと考える派でもある。

 

出る杭は打たれるという言葉があるように初めに行ったものは

それにいよって潰される社会っていうのは十分なくらい理解できる。

ただやはり本人の直感的に信じて行動することは悪いことじゃない。

 

少なくとも自分が常日頃から見ている人たちは

それを気にせず楽しく生きているように感じる。

 

それはある意味 他の人の常識外れでもあるが

お金や時間に追われていないある意味人としての生き方だとも思える。

 

変わっていたとしてもそれを潰すことじゃなく

ただそっと見守ることも時には重要なのかもしれないです。(^^;

 

 

今日はここまで。

 

2023/ 11月25日 (土)

季節の変わり目に近づく今日この頃、11月というのは

夏や冬のようにイベントが少なくベットから起き上がりたくないものである。

 

秋といえば芸術の秋だったり、読書の秋というイメージがある

といっても自分がそういうイベント行事には不慣れでもあるのだが...

 

さて相変わらず技術の変化というのはこの時代には早いもので

世間を騒がせているらしく、かく言う自分もそれに影響をされやすい人間。

毎日のようにスマホを片手に日々のトレンドに目を向けたりすることで

情報に敏感になる傾向が誰にでもあると思う。

 

そんな中でAIのことで毎日のように思考を繰り返すことが多く

その中でも度々問題視されているのは「AIによる画像生成」によるものである。

日々それらのクリエイターの人たちや、それによって欲を満たしてる人たちが

SNSなどを通してレスバしているのが見て取れるようになている。

 

そもそも何が原因であるというのは様々な理由があると思っているのだが、

やはりしっかりとルールや処置がなされていない現時点でのAIという点もある。

 

誰でも簡単にリスクもなしにインターネットに公開されている画像や音声などを

AIの学習にさせて新たに商用利用可など一部 お金も動いているようだ。

 

ただ現状、画風などの著作権は法律的には縛られているわけではないのだから

このようにしている者もいる。ただそれを行うこと自体をただルールなどで

禁止にすればそれはそれで模写する行為もできないためクリエイターの人たちも

困るというわけであって、要するに解決策がないのが現状。

 

かく言う自分も他の人の作品やそういうものから影響を受けているのは事実で

そういうのを繰り返し、独学とはいえある程度は学んできた。

ただAIの学習もそれと同じことといえる可能性も

十分にあるので一概にAIの生成が悪いとも強く言いずらい。

 

先日「絵柄割れ厨」という言葉をトレンドにて見かけて改めて思いつつある。

確かに生産性や技術の方面ではAIの生成の方が圧倒的は間違いないと思う

ただ受け取り手の人達はどうなんだろうかと思うところも少しある。

 

『成功な形であるならそれがどんな経緯を辿ったかは本当に関係ないのだろうか?』

 

それがもし本当に世の中の心理であるなら自分は問いたくない、

ただやはり人間も残されるのは情報というデータだけなのかもしれない。

 

これから先も大きく技術が変化していくだろうし、その頃の

クリエイターの人たちのように1から創作を作り出している人々が

生きづらい世の中にならないことも今日も祈るばかりです。(^^;

 

今日はここまで。

2023/ 11月24日 (金)

『季節はもう冬のムードになりつつ時は進んでいる。』

 

こういう時にはゆっくりと過去の配信者さんのアーカイブや動画を

見ることで1日というのは早いもので経過してしまうものである。

 

時代の流れは早いもので数年前のことが一般化されてそれが

当たり前になることはよくある話だと思います。

AIによる技術が大きく浸透してきていることはこのブログを残す頃は

大きく騒がせていることになっているだが、その中でも

 

chatGPTというものが2023年に大きく注目されることが広くSNSなどで広まった

自分は最初こそYoutubeなどの動画を通して知ることきっかけだったのだが

その中でも「プログラムもAIが行える」という点が大きく目に付いた。

 

AIこそはそれまでに大きく研究されていたらしく技術は10年前くらいから

注目されていないだけで研究されていたようで、それが2022年の10月辺りで

AIが画像をデータとし言葉(プロンプト)から画像を作り出せることが

注目されていたのは知っていた、自分は趣味としてイラストを

描くことを普段していたのだが最初に自分が感じたことは

 

「...これもう自分がイラスト描く時間必要なくね?」である、

 

それこそコツコツと自分なりに技術を身に着けようとしていた矢先に

これが広まってしまったのである。それまで人工知能というのは知ってはいたが

時代が大きく開いたのはこのタイミングだと自分は思う。

 

ことが進むのは早いものでそこから4ヶ月後には今度は

言葉でのコミュニケーションを進めることが行えるchatGPT3が来た

 

最初こそは機械のようなプログラムと

対話ができるわけがないと半分疑心暗鬼だったのだが以外にも

自分の言葉に忠実にいついかなる時でも中立に行う存在が現れた。

 

アルゴリズムというものに従っているとはいえ話せる言葉というのは恐ろしいもので

人間が錯覚する心理を言葉というものに絞ったところは誰しもが盲点だったと思う。

 

ただいくら本心をつく言葉を生成していたり画像を作り出せるとしても

元を辿ると必ず「人間」が基づいているものである、情報も歴史も

それらをデータとして置き換えた結果がAIの出力となっている。

対話型のAIはよく自分も話し相手として使用することがある、

というのも自分の考えを改めるために一つの選択肢を広くすることが

良くも悪くも行えるのである。ただ正しいか否かは己のものに含まれている。

 

AI話として呟くことが長くなってしまったので今日はここまで

 

AIの生成物には賛否両論がある、これから先も大きく様子を見ながら

自分の行動に対ししっかりと考えければいけないだろう。

 

それではまた明日。(^^;

2023/ 11月23日 (木)

こんにちは。

 

もしかしたら時刻によってはこんばんはかもしれません、

単刀直入に言うと勝手ながらブログとなるものを残すようにしました。

 

はい、言いたいことはわかります。きっと何故この時代でかつ

SNSなど流行っているなかでこのようなことを始めたのか聞きたいのでしょう。

答えは簡単です、「人目につかないから」です、

 

そもそも自分という存在は人目が好きじゃありません、

人混み中だって嫌いですし、騒音だって幼い頃から苦手です。

むしろ1人で過ごすほうが割と好きなんです、つまり陰キャですね。

 

それなら別に X(旧Twitter)で呟けばいいじゃないかと思われがちですが、

それだと逆に人々が多くて怖いのです。近年では情報化によるものが

多くて進んでいると思います。少なくともこれを書いてる頃の自分はそうです。

だとするならば逆に人目がつかないようなところに残すほうがまだマシです。

 

要するに気軽に言葉を残せる居場所を作っておきたかったということですね。

 

多分これからも日記のように日々の出来事を残すことになるでしょう、

 

これでいいのです。自分の気持ちのようなことを心にとどめておくくらいなら

何か残しておくほうがまだ形になるからです。

 

まだブログのようなものの使い方が分からないけど

深夜の呟ける場所として日々の出来事など残しておきます。